《やもめの眠れない25時》現代寿命と人生観のようなもの

ちょっと思ったんです。

いま現在の平均寿命って80歳を超えているわけじゃないですか?

昔、イメージやすいの侍の時代ですと「人間、50年」と信長さんが舞っていましたな。
(実際はもっと短かったらしいですけど)

「ん、ということは・・・」

 

そんなことを、寝床について眠れないベッドで、あっち向きこっち向きって寝返りを打っている最中に考えるわけですよ(現時間0時45分)その考えに捕らわれて「よっしメモしておこう」ってのがこのカテゴリーなわけでございます。

 

で思ったんですけど、《やもめ的思考》とでも言いますか、死別を体験したあとっていうのは色々とゴチャゴチャと考えるわけです。

 

やもめって、

第一には「なんで?」という疑問つまり「なんでアイツ死んだんだろう?」という哀しい思いをしつつ(いまはだいぶ冷静ですけど)

次に「私のせいか?」という自分への疑いみたいなものですかね。自分が死なせてしまった。そういう疑いだったり、

「この世って何よ?」という問い?をするわけです。何かしら納得のいく理由を探すんですね。仕方ないです。他にもいくつもあるわけですけどね。

 

そんなたくさんの問いかけを自分に向かって自問したり、心のどこかにいる故人に訊ねることを長ければ数年続けるわけですよ。

それが人間なんですな。

 

AIとか量子コンピュータではないですから、仕方がないですし、そうやって思い悩みながら生きていくもんなんでしょうな人間ってのは!

 

そうしたときに、人の寿命というものについて、つらつらとふと思い浮かんだことが「あれ、昔の人って平均寿命短かったわけだけれど、それはそれで何か終えるものがあったんじゃないか?」ってね。

 

例えば、この世に生まれ出てきた役割のようなものがあったとしてですよ。

 

何かその役割を達成する期限が昔は短かったのかも?

なんてことを思いついたでございます。

昔って、サムライの時代なんてのは人生50年だったわけでしょ(実際はもっと短かったらしい)

いまの時代、平均寿命も長いばかりでダラダラ無駄に生きているのかもなぁ?
(特に早く死にたいわけではないのですけど、いったいいつまで生きるんだろう?ちょっと考えるのです)

何か意味を付けて考えたくなるのですな。

 

考えてみれば、人にはそれぞれ役割があって、もしかしたら長く生きて他の人の役に立て!ってこともあるのか知れんですけどね。

 

人それぞれなんですよ。

「世の中はこうだ!」なんて誰にも断言はできません。《やもめのモアイ》もするつもりもないです。

どうんな考え方をしようとそれは自由だと思うんです。

それこそ、「生きてるだけで丸儲け」で良いのです。

 

 

人が、その後をどう生きていくか?

どう生きていこうと決めるのか?

それが大事なことなんだと思った次第であります。

 

ま、このカテゴリーはそんなもしかしたら他愛のないただの思い付きかもしれませんし、同じやもめさんにとっては、少しは共感していただけるようなことも書くことがあるかもしれませんね。良かったらご贔屓に!

このブログ、しばらく放置していましたけど、再開します。3日坊主で終わらないように頑張ります。

 

ではまた。

 

やっと眠くなってきました。でもね、睡眠障害とかでありませんよ。

眠るときにはしっかり寝ています・・・

 

今日は、いまはもう昨日と言わねばいけない時間ですが、流星みました?

私ね、昨日の朝方4時ころ見ましたよ。きっと一番乗りですな。と勝手に思っています。

 

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