夫原病と妻原病から思考する癌と死別(いまやもめもやまい)

ヒトリミ中高熟年見聞録

こんな病名の病気があることをご存じだろうか?

つまり、夫を原因とした妻の病気、その逆に妻を原因とした夫の病気。ということだ。

夫婦関係での精神的なストレスやプレッシャーが病にまで発展してしまう。

 

DVの夫のために乳がんになってしまった妻。

DVの妻が癌になり、DVがさらにひどくなった。そのご死別をしたのだが、夫は心に傷を癒す暇もなく死に別れてしまったがために本当であったら、、、

言いにくいことではあるが、

 

心も解放された半生をおくれても良いのだけれど、死んでも解放されない心のまま生きている夫。

 

それが、夫原病と妻原病という病気の最終形態かもしれない。

人を死に至らしめてしまう原因のひとつ。

それまでは、日常生活の中でのちょっとした変化、不調からはじまるのだろう。

頭痛であったりダルさから始まるのだろう。

 

筆者がなぜこの病気に関心を持ったのか?という話をしておかなければいけないだろう。

筆者、思うに、何らかの病気で家族を亡くした人には共通の思いが遺るのだろう。

 

「俺のどこが悪かったのだろう?」

「もっと生きているうちにいろいろ連れて行ってやればよかった」

など、後悔とも罪悪感ともつかないような感情が遺されるのだ。

 

人によっては何年も何年も遺り続けてしまう。

ときには大きく育て増大させて押しつぶされる場合もあるのだろう。

人によってはその悔恨のようなものが今度はその遺族を死に至らしめてしまう。

亡くなった妻の面影をパソコンに残した画像を眺めつづけ1年後に同じ癌でなくなった夫を知っている。

 

 

多くの人は、どこかで納得する。自分に納得させることで、解決を図るしかないのだけれど、この病気は突き詰めれば人との関係により病に侵されるということですが、人間、無人島でたった独りで生きていくことはできない。

だからこそ、できるだけ円満な人間関係を築くことに人は苦心するのだ。

 

ただ単純に「弱かったから・・・」で片づけてはかわいそうな話でもある。

 

筆者が考えるに、

この病気のことを知ったのであれば、もうちょっとだけパートナーに優しくしようじゃないか!

ということだ。

パートナーばかりではなく、その他の家族やせめて身近にいる人々にはそうしようじゃないか?

 

「女は男しだい、男は女しだい」

ともいうではないか?

人間の心というものは、不思議なものだ。自分のことをよく知る。ことが大切なんだ。

 

たとえ、死別後であっても、身の回りに大切な人がいる限りこれは有効だ。

筆者などはその後にまったく変わった。時間をかけて考えれば考えるほど変わらざるを得なかった。

つまりそれまではクソ野郎だったんだろう。

良かれと思ってしていたことも本当に相手にとって「良かれ」なのか?考えた方が良い。

そういうことだ。

 

 

このブログのテーマは「再生」だ。病発症、離婚や死別で落ちること、落ちたときにどう対処しつつ再生していくのか? 今その時点にいるかたの何かのヒントになれば、、、と書いていく。

 

筆者が体験したその後悔や罪悪感を納得させるための日々を思い起こしながら書いてみた。

その辺のことは、また書くつもり。ブログも再生したばかりだ。

 

ではまた。

この病名はなにかとってつけたような気もするけれど、れっきとした病気なのだろう。

ただ、病気というものは、その時代時代で変わっていくし、新たな病気として認定していくことが医療?の陰謀と言えばいえるけれど、大多数の医療関係者は善意である。と思いたいところだ。

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