死別後の親戚付き合いをどう考えるか?

もちろん、その人による話を筆者なりに考えたことを書いておくので、あくまでも参考までにしてほしい。

 

夫または妻との死別後に亡くなった側の親戚とは、

 

「もう縁が切れた」と考えるか?

それとも「縁を切る」と決めるのか?

 

 

「付き合い方は変わってしまう」と考えるか?

「付き合い方は変える」と決めるのか?

 

このどっちかだ。

 

筆者こう思う。

死別後直後数か月から3年、三回忌まではじっくり考えれば良い。相手の考えもあることだから、早急に決めないことだ。

とくに直後は、感情が激しやすい。自分では気が付かないくらい実は不安定なのだ。

いつかわかるときが来るよ。

しかしだ、相手の受け取り方、相手にとっても元は同居し一緒に成長してきた家族が亡くなったのだ。自分と同じような精神状態にいるのかもしれない。

 

喪失感から罪悪感、厭世観とおよそ悲観的な感情の総出演のような状態かもしれない。

 

失礼かもしれないけれど、年をとり自分の寿命と相方の加齢を毎日、目の当たりにしているならば自然とお互いに別れの日を想像し覚悟もできてくるようにも思うが、人生半場の40代で死別なんぞを経験すると、今後のことも含めて、何をどう考えたら、解釈したらよいのかまったくわからなくなるものだ。

 

そう、40代の中高年と80代の老人の精神構造はまったくちがうし、死を身構えて待っている人と、「まだまだ先があるはず」と考えていた人の差は大きい。

起こってしまったことは仕方がない。しょうがないのだ。人間は不完全な生物でしかないのだ。

だから悩むし、混乱するし、間違った方向に走ったりもするのだ。

 

もうなにも、急ぐ必要はないのだ。焦燥感にだけは見放されたのだよ。

今後は、

そこは、ゆっくり行くのが良いのだ。

だから、そこは棚上げにしておきなさい。

少し、生きるスピードを落としてのんびりくらいが丁度よいのだよ。

 

 

話を戻すと、

義理の親戚とも

どちらからともなく自然に良い距離感が取れるようになるまでゆっくりでよい。

そのうちに、生前は見えなかった事柄や、故人が軋轢を避けるために見えないように隠してきたとしか想像できないようなところも見えてくる。かもしれない。

 

結論は先送りでよいのだ。

魂の半分を故人に持っていかれてしまったようなあなただ。

修復には時間がかかるんだよ。

 

だから、

ゆっくり歩いていこうよ。

ね。

 

 

ではまた。

このページにはおそらく追記することがまだあると思う。

こういう死別の心話なのでページ数はあまり増やさず十数ページに抑えてじっくり書きたいと思っている。

そこだけは了解してください。

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