教育ってホント大事だな

ヒトリミ中高熟年見聞録

教育って本当に、本当に大事なことなんだよな。ってことに今更気が付いたりして後悔している。

でもな、今だから大事なことなんだということが心から分かるようになった。ともいえる。

当時、生まれたばかりの我が子をこう育てよう。と強く思っていたことの大半がいまは通じないようにも思えるし、いまもう1度我が子を育てる機会があるならば・・・まったく違うことを教え諭すのではなく、日常生活のなかで自然に自得するような方法をとるだろう。

 

そう思うんだよな。

ちょっと後悔だけれど、ま、仕方もあるまい。

で、思うのは、

 

いまからでも間に合うんじゃないか?

そう考えたから「大人教育」なのだ。

言っておきたいが我が子が一人の大人として不足なところがあるわけでもない。

それこそ、「今どきの若者は・・・」と自分たちもそう呼ばれてきたであろう大人が言う若者なのだろう。

 

この大人教育、遅々として進まないし、成果もそうそう見えない。そうそう確認できないからこそ面白い試みだなぁ、と勝手に思い込んでいる。

 

誰しも孫は可愛い。と言う。

育てる責任がないからだともいう。

亡き妻などは「孫が生まれたら親が止めてというくらい可愛がってやる」そして「子育てはお前たちの責任だ」と言ってやる。と大言していたけれど、よくよく考えてみれば、その親を育てたのは誰だ? という話に行きつくのだよ。

 

それに、妻が亡くなったことで、いろいろなことが滞っていることも確かなことで、それらを取り戻そうと強く思い込むようになったのもつい最近のこと。少しは妻にも責任はあるんだぜ。と抗議の手紙をあの世に送ってみたいが、ムリなようなのでそのうち持参してもいいか。

 

そういうことであるならば、孫を可愛がりたければ、孫が悲しむような、孫の心が破壊されてしまうような教育を施そうと間違うこともあるかもしれない親をしっかり人としての形を作っておく?

 

それが妻においていかれ遺されたジジイの仕事なんじゃないかいな?

 

そう思うんだね。

あくまでも、私はね。

 

ではまたな。

 

そうそう、しっかり書いておこう。

筆者Moaiはね。誰かに、こうしなさい、あぁしなさいとか指示とか導くとかをこのブログでするつもりはまったくない。

たまたま、なにかのヒントになったりアドバイスのような役立った。と思ってくれるならそれでいい。

そのために、思い出すたびに「あくまでも、私の意見だ」という意味の言葉を入れている。

「私はこう思う」という言葉を使えるような文章を書きたいのだ。

 

逆にだ「誰々がこういっていますから・・・」という文章には眉にたっぷり唾をつけて読むことにしている。ま、そういうことだ。

ここ数年、関心をもって見てきた「政治の世界」「世界情勢」「右とか左とかの思想」「マスメディアの嘘と欺瞞」で特に役に立つ方法だよ。

あとがきが長くなった。

またね。

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