下駄を鳴らして奴が逝く~

そっか、、、

逝ったか

 

78歳?

若いか、穏当か、大往生か?

 

カランコロンと下駄を鳴らしながら逝ったのだろう。

 

人はいずれこの世を去る。

 

ちと早いか遅いかの違いだけだ。

 

これだけは平等だ。

 

もう1度書くが、早いか遅いかの違いだけだ。

太く短くか細く長く、というような言い方があるけれど、モアイはこう思う。

自分にとってのみ濃く長く、と生きるのが最も良い。

太くとか細くという言葉には他者から見ての評価が内包されているような気がする。

比較の対象があるってことなんだ。

濃いとか薄いとか、というのは自分一人でも判断できることかな、、、って、、、ちょっと違うかもしれない、と書いていて思ったのだが、まぁいいわい。

とにかく、どう生きたか?生きれたか?の評価だけは自分でするべきことで、それこそ人の評価に任せてしまったら、「死ぬまでに後悔する○つのこと」の一つに間違いなく入ることだろう。

 

 

最近、平均寿命がまた伸びたようなニュースを見たのだけれど、健康寿命という言葉も出てきているように、その瞬間までいかに元気でいられるか?のうほうが非常に重要だ。

彼は、肝臓がんだったそうだから、また闘病生活もしたのだとすれば、苦しみもあったことだろうと推察、あくまでも推察をするのみだ。

 

いつこの世を去るのかは神のみぞ知るで良いのだけれど、せっかくこの地球上でもっともよい頭をもらった人類は、自分たちの老い、というものを計れるようにもなっているのだからある程度の年齢に達したら、やっぱり準備をしておきたいものだ。

 

そういうことを40代の前半から考えざるを得なくなったモアイでありました。

そうだなぁ、20代、30代で死のことを考えるのは、時に心が病んでいる。といえるのかもしれないね。40代は人生の前半終了、と考えての折り返し地点として考え始めるべきことなのかもしれない。(そういう意味ではモアイも早すぎということはなかったのだろうけれどね)

 

50代、60代になると知人ではないが、若いころの思い出の有名人が去っていくことで身につまされてくるし。物心がついたころにすでに大スターであった人の近況を「あれ、○○さんてまだ生きていたっけ?」と検索してみたりして生年月日の横に享年月日が記されていないことをみて「あ、まだ生きていたんだ。ごめん」と独り言をつぶやいたりするのだな。

そうして、「自分の順番はいつごろだろう?」などと勝手な予測を立てたりするのだ。神のみぞ知るだってば!! なのだ。

 

いずれにしても準備は怠りたくはないし、いつでも受け入れられるような心構えも確保しておきたいな。と強く思うわい。

 

ムッシュかまやつ氏のご冥福を祈る。

 

 

ではまただ

 

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