「誰と暮らすんだ?」独りで生きて死んでいくことをどう思うか?

ヒトリミ中高熟年見聞録

よく言われること。

 

「死ぬときに独りで死んでいくのって寂しいじゃない」

 

どうも疑問でな。

それは、生きのこった、遺された人間の言い分なんじゃないか?

ってね。

 

老人の孤独死がニュースになったりするけれど、それは結局はその後、つまり結果を見ただけで人はそこまで感情や情緒の想像を膨らませてしまうのだ。

「あの人はきっと不幸だったに違いない」と考えてしまうのではないか?

と筆者モアイは考えるのだ。

 

またその感情を必要以上に恐れて、さらには関係のないはずの世間様(他人様)からの批難の視線を避けたくているのではないかい。それを言い訳にして出会いを求めるとか再婚をしたい。と考えるのも嫌なものだな。

 

誰かと一緒にいるということは、いつか誰でも経験することになるそれまで(死)の間を、幸せな気分だったり、子育てが終了しているのなら《あれ》を楽しんだり、大笑いしたり、抱きあって眠ったり、そういうもので埋めていくような相手だったら男も女も関係ないよな。(男とはない言葉もあるよ、もちろん、勘違いせんでくれ!)

そう思うのだよ。

だから別にその気はなくても同性と暮らしたっていいじゃない。とも思うのでそんな記事を書くことも多々あるのだ。

 

もちろん、その同性にも《その気》はない方が良いね。

できれば、というより、同性の同居人より、異性の同棲人や再婚相手の方が見つけやすいだろうし簡単だろうし、世間様に変な誤解を受けなくて済むかもしれないし、再婚という形をとらなくたって良いし、同居相手で良いのだ。そっちのほうが(異性)良いに決まってる。

なにかと気持ちいいし・・・

 

そういえば世間様で思いついたことがあるのだけれど、ちょこちょこ言うけれど他人様(世間様)は「私の人生の責任を取ってはくれないのだよ」ということだ。それはいまここを読んでいる貴方にも言えることだよ。

「私も貴方(貴女)の責任は取れませんよ」ということで、取るとするなら同性にしても異性にしても同居人にしても同棲人にしても再婚人にしても新たに家族となる人への責任だけだよ。

他人や世間様の意向に沿うことばかりを行動の中心に据えてしまうと後悔することになるのだろうな。と私は思う。

 

 

ではまたね。

いつものごとく私、モアイの考え方であって、なんらあなたに強制するものでもないよ。(そんなことを言うまでもない人に読んでいただけるとよいのだが・・・)

 

 

なんて、新しく開設するブログの構想を考えていたら、思考がそっちに逸れていったのでメモしておこうかと・・・いつものことだけど。

 

そうそう、「死後離婚」ということば聞いた。

これ、わたくし体験者なんです。今日か明日か分からないけれど、いまの大作業案件をすませたら書きたい!そう、書きたいのだ。このブログそのためのものなのだよ。

 

誰かに何かを教え諭すなんてことはできない。というかしたくない。

読む人にとって、万が一、なにかのヒントになるようなものが見つかったならそれで十分、十二分の充分なのだ。

 

それがこのブログ。

けっこう、というよりも、かなり勝手気ままなブログだよ。

暇な時間に、気楽に読んでおくれ。大したことは言っていない。

(たまに真面目に数万文字を書くこともあるけれど・・・)

 

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