三十にして立てず。四十にして惑い。六十にして耳逆らう。

Moai思考・嗜好

「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」(論語:孔子)

これは、歴史に遺る偉人の言葉である。自らの人生を現した言葉。

一般庶民に当てはめることは難しい、よく「人としてそうあるべき」と使われる言葉。

 

筆者はこの記事を書き上げた夜、

「四十にして惑わず」ではなく、我、大いに惑う40代を生きる凡人
40代で奥さん亡くしたし色々岐路にも立ちましたよ。自身も命の瀬戸際まで体験しましたしね。いろいろあるんでしょうね、そういえば妻の発症は夫42歳のときでした。 そんなこんなで40代というのは、なにかこう人生のなかで何らかの大衝撃的なことがおきて、あとで思い返してみれば、人生変わったってことが多いのかもしれませんな。それも自力ではなく他力でですね。

眠れない25時にベッドですったもんだしながら考えた。(いや くんずほぐれつ ではない)

せっかくの偉い方のお言葉を少し変えさせていただいて自身への教訓としたいな!  と。

「吾、十五にして学に志す。三十にして立てず。四十にして惑い。六十にして耳に逆らう。七十にして心の欲する所に従うのみ、自分だけの常識を創る。八十にしていまだ死期を悟れず」

我々、歴史に埋没し消え去っていく現代の凡人たちの、首をかしげてしまう言動を、自らの戒めと教訓そして社会風刺のひとつのメモ、記録としておこうと思い立った。(当然、筆者も含みます)

十代は割愛させていただきます。Moaの生活の中で、この年代に対しての思い入れも、知人もいないので・・・

また個人名は一切使用せず、後の世には忘れられているであろう人々の記録としたいのです。

三十にして立てず。

 

 

四十にして惑い

前回のこの記事から始まった

「四十にして惑わず」ではなく、我、大いに惑う40代を生きる凡人
40代で奥さん亡くしたし色々岐路にも立ちましたよ。自身も命の瀬戸際まで体験しましたしね。いろいろあるんでしょうね、そういえば妻の発症は夫42歳のときでした。 そんなこんなで40代というのは、なにかこう人生のなかで何らかの大衝撃的なことがおきて、あとで思い返してみれば、人生変わったってことが多いのかもしれませんな。それも自力ではなく他力でですね。

昔の自分、20代前半の所業を思い出す、彷彿とさせ強烈な印象が残る言動でした。

 

五十にしていまだ天命を知らず。

 

 

六十にして耳に逆らう。

初孫の話がしたいお年頃

 

七十にして心の欲する所に従うのみ、自分だけの常識を創る。

 

八十にしていまだ死期を悟れず、枯れず、子に従わず

(これは孔子さんが言っていることではなく、筆者Moaiが勝手に付け足したものです:悪しからず)

 

 

 

人の一生というものを大変興味深く拝見しています。

 

良い方の教訓なんかも記録しておきたいなぁ、こっちは個人名付きでね。

そのうち別ページに雛形を作ろう。

徐々に書き足していきます

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