高嶺の花より分相応のお相手を見つける

男と女のあれやこれ

高嶺の花は届かないからいらない

のではない!

手を届かせる価値?(言い方悪かったら後免よ)が見えない。

あまりに高いところに咲いているので、見えない。

 

なんてことをちょっと思ったのだ。

ついでにもうひとつ言っちゃうと、

「高いところ」と考えてしまった時点で本人がどう考えるか?かな。

「いつか届かせたい」と思うのか「あきらめる」のか

そういうところから始まることもあるのだろうよ。

 

若いころはそういう思うに焦がれることもあったかもしれないが、いまはない。

高いところにたつことに魅力を感じなくなったのかな。

 

そこそんなに高いか?

そうか、高嶺に咲いている花を獲るのか、それともそのままそっと咲かしておくか、自らが高嶺に到達するか?これぐらいしかないだろうに・・・

 

それに高嶺の花が突然に本性を現すときに出くわしたりするとガッカリすることが多い。

同性、異性関係なく、なんでこんな人に・・・ということ。

炎上とかいう多勢私刑みたいな行為は、そういうガッカリ感から「叩く」という行為が激しくなるのかもなぁ、と思うわけよ。

 

それならば、同じ高さにいる人か?

高嶺の花よりも「道端の華」の方が良いと思うのだ。

愛でる時間もそんなにないかもしれない。と思うからかもしらんが、身の丈にあった華と穏やかに過ごしたい。そんなふうに思うわけよ。

そういう意味では、中高熟年の婚活とか、再婚とか、、、離婚も死別もあるだろうけどさ、このブログは続けてみたいのだよ。

思ところを書いてみたい。

 

そうでなければ、自身では低いところにいる。と勝手に確信している人を手を添えて引っ張り上げてみたい。

そんな気もする。

 

このあいだフラれた相手がそうだった。

彼女はそこに留まることを選んだ。

 

それで良い。

と考えること。

それが年をとるということかもしれない。

この阿呆もやっとすこしは見えてくるようになったのかねぇ・・・(自画自賛ではなく自我自虐?)

 

 

なんてな。

ちょっと頭に浮かんだんだよ。

へへへ♪

 

そのうち目の前に出てくるんだろう。

と思っているから慌ててもいない。

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